仙台味噌とは

仙台味噌とは

「仙台味噌」は、伊達政宗公が醸造の専門家を仙台に呼び寄せ、軍糧用としての味噌をつくらせたといわれる「御塩噌蔵(おえんそぐら)」に由来します。また、そのまま食べられることから、「なめみそ」とも呼ばれています。

仙台味噌は、米麹(こめこうじ)を用いた米味噌のなかでも、麹量が大豆量よりもやや少ない辛口(塩分が約12%)の赤味噌です。それを10ヶ月以上にわたって天然醸造することにより、塩馴れしたまろやかな味と風味がうまれます。

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仙台味噌の歴史

政宗公と仙台味噌

政宗公と仙台味噌

豊臣秀吉の朝鮮出兵に際し、伊達政宗が浅野長政等とともに朝鮮に渡り蔚山で戦いました。
その時、夏期に腐敗してしまった他藩の味噌と比べ、仙台藩の味噌は少しも変質せず味も優れていたといいます。それが欲しい、と仙台藩が他藩から請われて分け与えたことにより、一躍「仙台味噌」の名が広まったと伝えられています。
また、政宗公は、常に兵糧用の味噌を確保できるよう、城中に大規模な味噌醸造の設備「御塩噌蔵」を建設。そこから、真壁屋古木市兵衛という「御用味噌屋」もうまれました。

江戸時代の味噌屋敷

江戸時代の味噌屋敷

仙台藩の江戸藩邸に常勤する士卒3,000人の食糧はすべて仙台から、味噌は城内御塩噌蔵から運ばれました。間もなく、大井の下屋敷には味噌蔵がつくられ、国許からの大豆・米で味噌が仕込まれるようになります。

「仙台味噌」のおいしさを井戸端の噂に聞いていた庶民は、つてを辿り、この味噌を手に入れようとしはじめました。そのうちに、下屋敷は“味噌屋敷”と呼ばれるようになり、二代忠宗公の世には、余分を払い下げるようになったそうです。

味噌醤油仲間

味噌醤油仲間

慶長六(1601)年、仙台城に移り住んだ政宗公は、城下の老舗商人(古人)19人のひとり真壁屋古木市兵衛に古人筆頭を命じ、「御用味噌」の看板を許可しました。やがて商業の発展とともにその独占が崩れたため、城下の味噌屋たちは味噌醤油仲間(同業組合)を結成して藩の保護を求め、品質と価格の安定に努めました。

天保の飢饉では、味噌の品質低下と価格混乱を、再三にわたる藩との交渉により解決。そして今日まで300年間守りつづけられてきた仲間の「基本」が、仙台味噌の声価を築き上げていったのです。

今日の仙台味噌

今日の仙台味噌

戦後の急激な食生活の変化・欧米化は、一時、ごはんと味噌汁のスタイルが失われるのではないかと思わせるほど進みました。しかし、いま再びその良さが見直されてきています。これは、日本人にとって味噌がいかに大切かを物語っている兆候といえるでしょう。

仙台味噌も、その天然醸造がつくりだす独特の深い味わいが、調味料として、また、そのまま味わう食品として、常に新たな楽しみ方を提供しています。そして今日も、江戸時代と変わらぬ人気を保ち続けているのです。

(参考/全国味噌工業協会編(1958)「味噌沿革史」)